私は大学の途中まで親の宗教を信じていた。
私は小さい頃から「これは正しい宗教だ。生まれた時からこの宗教に出会っているなんて幸せだ。」と親から教えられて過ごしてきており、幼稚園の頃からは会合に親に連れられて参加していた。
参加していたといっても小学校低学年くらいまでは会場の隅で絵を書いたり、本を読んだりしている程度であった。
それが小学校高学年になると年に数回程度小学生を対象とした会合が開かれるためそれにも参加をするようになり、さらに親に言われるがまま、毎日祈るようになった。
特に母親は厳しく、私は常に怒られてばかりであったが、教団の会合に参加したり、祈ったりすれば褒められるため、普段褒められることのない私はそれがうれしくて活動をしていたように思う。
割と幼いころからこの教団から離れることは恐ろしいことだと教えられてきていたこともあり、無条件で教団を信じていた。
会合で会う方は皆やさしく、常に私を褒めてくれた。そんな環境が好きで高校まで何の疑問も抱かずしっかり活動を行っていた。その時には信じられなくなる日が来るなんて思っても見なかった。
おかしいと感じはじめたのは大学生の頃、知り合いの役職を持っている方が役職を解任されたことがきっかけであった。
解任されたのは教団を批判している書籍を読んでおり、それを後輩に勧めたことがきっかけだったという。
わたしは純粋に教団を批判している本を読むことが悪いことだとは思えなかった。その本を読むことで自分たちが世間からどういう目で見られているのかを知ることができ、世間からの意見を踏まえて皆に受け入れてもらえやすいように教団のあり方を変えていくことができると感じたからである。
そのため、純粋になぜそれがいけないのか?と母親に問いかけた。すると
「何を言ってるの!?恐ろしい子!」
と言われ、まるで罪を犯したかのような目で見られたのである。
私の疑問に一切答えることなく、実の子に対して恐ろしい子と言ったことに恐怖を感じ、そのような思考にさせている教団に恐怖と不信感を感じた。
そこからどんどん教団や教義に疑問に感じるようになっていった。
教団が毎日発刊している新聞を家庭で一部ではなく、一人一部とらせようとすること。さらに地区ごとに目標が設定されており、ほかの家庭にお願いして新聞をとってもらうこと。お願いしても取ってもらえないことも多いため、新聞代を会員が払い、知り合いに贈呈という形で取ってもらっている人もいることを知った。
また、年に数回財務があり、財務を行うことで功徳があると会員を煽っていた。しかし、財務の使用の内訳は公表されない上、建設される教団の建物は理解できない部分にお金がかけられていた。
徐々に全てがお金目当てにしか見えなくなり、自身も教団にお金を吸い取られていく運命になることに嫌悪感を覚えた。
徐々に活動にも参加しなくなり、祈ることもほとんどなくなった。
今では全く信じてはいない。親は前述の通りであるため、家庭の平穏と自身の心を守るため、信じていないことを伝えていないが、以前に比較するとかなり教団に関わることも減り、平穏な生活が後れている。
ヨルム
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