いや、恨んでいいはずないでしょ。
親子は分かりあえるもの。
貴方、親とちゃんと話したことあるの。
親も貴方のことを愛して幸せを願っていたはず。
親子で価値観が違うなんてよくあること。
ニュースになるようなひどい虐待で死なせてしまった訳じゃない。
ちゃんとご飯を食べさせて育ててくれたでしょ。
貴方もいつか親の気持ちが分かるはず。
はい、これが世間一般的な認識です。
普通の家庭で生まれ育った普通の人間が持つ感覚です。
最近はようやく虐待が社会問題として認知されつつありますが、それもあくまで死なせてしまうようなひどい虐待であって、そうでないものには世間は無関心です。
では、生まれた頃からエホバの証人として育てられた私の結論をいいます。
声を大にして言います。
「宗教2世は親を恨んでいいです」
もちろん、宗教2世にも色んな人がいます。
親を好きな人、恨んでいる人、どうとも思っていない人。
でも、世間一般は家族愛というものが全ての家庭にあると信じています。
子供が親を憎むことをとにかく否定しがちです。
そういった価値観の中で、親を恨む自分自身の感情に苦しむ2世は沢山います。
だからこそ、私は声を大にして言います。
「親を恨んでいいんです」
理由は簡単です。
親は貴方に虐待をしたからです。
虐待をした親を恨むのは当然の話です。
貴方が宗教活動を嫌がった時、親は貴方に何をしましたか?
鞭や殴る蹴るといった暴力、ご飯を抜きにするといったネグレクトで貴方の意思を捻じ曲げようとしませんでしたか。これらは言うまでもなく、宗教関係なく虐待です。
では、明確な暴力やネグレクトがなければ虐待ではないのか。
そんなことはありません。
そもそも、どんな宗教を信じるも信じないも全ては自由です。
神がいると思うのも自由。神がいないと思うのも自由。
この世は空飛ぶスパゲッティ・モンスターに支配されていると思うのも自由です。
親という立場を利用して、貴方の大事な自由を奪っていいはずがないのです。
たとえ親であっても、貴方の心まで好きにする自由はないのです。
もっと言えば、この世の誰にもそんな自由はありません。
親という子供からすれば絶対的な立場から宗教を押し付けることは、暴力やネグレクトを伴わないものであったとしても、それ自体が深刻な児童虐待です。
だから、貴方は親を恨んでいいのです。
虐待を受けてまで愛してあげる義理はありません。
最後に、「でも育ててくれたでしょう」と言われた時の心の整理について。
えー、図々しいかもしれませんが、これもはっきり言いましょう。
「親が勝手に産んだのですから、責任をもって育てるのは当たり前です」
もし育児放棄をした場合、日本では保護責任者遺棄罪等に問われます。
つまり、育児を完遂するのは日本では最低限のことなのです。
育児放棄をしてないという最低限のレベルに達していることを理由に、
宗教を押し付けるという深刻な児童虐待の罪が消える訳が無いのです。
はい、もう一度確認しましょう。
宗教の押し付けは児童虐待です。
たとえ暴力やネグレクトを伴うものでなくても、貴方の心を破壊する深刻な児童虐待です。
成人するまで育てたとしても、それは親として最低限の行為をしただけです。
貴方が親を愛さないといけない理由にはなりません。
児童虐待は、どう取り繕っても児童虐待です。
恨まれて当然の行為です。
貴方が親を恨むは、非常に正常な心の成り行きです。
だから、何も心配しないでください。
堂々と生きてください。
後ろめたさ? そんなものは昔の記憶と一緒にゴミ箱に捨てましょう。
以上です。
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