この記事は誰かのための道しるべでもなく、誰かへのSOSでもなく、ただその時感じたことを記録として残しておくためだけのものである。
※自身のnoteに書いた記事のセルフ転載です。
2025年現在の関係
2025年1月現在、旧統一教会の元信者だった母との関係は決してこじれてもなく、いたって普通の母子としての関係を築けている。
尤も、世間一般で言う普通の母子関係とイコールになるかどうかわからない。
私にとっての「普通」とは家族の愚痴聞き役としての立ち位置となっているのがデフォルトだからだ。
一時期はそれすらもできない状態にまで関係が悪化していたことを考えると私の中では今の状態は「普通」なのである。
ちなみに、家族の愚痴を娘に聞かせるという関係というのは、母が旧統一教会の信者だったころから変わっていない。
つまり、教会内の信者と接することが少なかった私にとっては「人を悪く言ってはいけない」と言いながらも他者への愚痴を言うのが信者、という印象がついているのである。
旧統一教会の信者を語る時に「いい人が多い」というフレーズを耳にすることが度々あるが、私にはにわかに信じがたいのは母を見てきたからというのが大きい。
母もまた外では「いい人」と言われる部類の人間だったからだ。
母から聞く信者の印象もそう変わらなかったな。
今でこそ、そこも含めて人間らしさがあると思うが、子供の頃の私にはその外からの印象とのギャップは理解しがたいものだった。
著者子供時代と母
子どもの頃の私はいじめられることが多かった。
多分これには親の顔色を伺いながら育ったことも多少なりとも影響していたと思う。
母の実家は厳しい家庭であったことから、私に対する教育も厳しかった。
なまじ勉強ができただけに、期待もあったのだろうと思う。
勉強が嫌いで学年が上がるたびに成績が落ちていく私に対して、テストの点数が悪いと怒られることがわかっていたから、定期テストの答案返却があっても返ってきたことを隠したこともある。
(そして同級生の親経由でバレる)
以前も書いたが、父は母の信仰を反対しており、母は父に対してビクビクすることが多かった。
私はその様子を見て父に対しても怯えと反抗心を行ったり来たりしており、母に対しては逆らえないという心理が働いていたようで、母に言えないことがあるとものすごく罪悪感を抱えたままビクビクする学生時代だったと思う。
私自身に信仰心は全くなかったが、母の言うことは絶対、母の言うことは正しい。
今思えば、実家を出るまでよくおとなしく従っていたと思う。
(とはいえ高校時代は完全に勉強しなくなって赤点も取るくらいお馬鹿さんになっていたが)
実家を出るまでは家族や信者に対する愚痴を聞く役割は家族の中で私、という状況だった。
(今も変わらんけどねー)
実家を出てから
実家を出て物理的な距離ができてからは、そういうような悪い言い方をすると「精神的支配」というものはなくなった。
私が一人で頑張っていることを応援もしてくれていた。
ただ、そのころから母や信者に対する旧統一教会での時間搾取ややりがい搾取的な状況は加速したように思う。
おそらく、愚痴る相手が近くにいなくなったことも関係しているのかもしれない。
手遅れになってから私に泣きついてきたというのが、献金による借金事件である。
さすがにこの時ばかりは2度と連絡してくるな、縁も切ってやる、とまで思っていたくらいだった。
実際に実家にもその後しばらく帰ることがなかった。
この頃になると、私も社会人として色々な人と出会い外の世界や価値観が入ってきたおかげで、母が言うことが絶対ではないと気づけたおかげで、ある意味母からの呪縛から逃れ強く返すこともできるようになっていたと思う。
銃撃事件後の1年間
借金問題が一応解決して、ぎこちないまでも関係は少しずつ修復し、しばらくしたところに2022年の事件だった。
事件前は親の献金による借金問題に巻き込まれるような家庭なんてうちくらいなんだろう、と思っていた私は事件の背景を知ってひどくショックを受けた。
ニュースやSNSであふれる親に巻き込まれた子どもたちの存在を知り、改めて母が旧統一教会で何をしてきたのか、なぜ結果として搾取される形になったのか、なぜ私が巻き込まれたのかを知りたくなった。
正直言うと、それからの母との関係は再び悪化というか気まずい状態になっていた。
何度も記事に書いたりSNSで吐き出してきたが、母から聞いた事実は一人で受け止めるには結構グロテスクなものがあった。
多分これは、旧統一教会が組織としてやってきたことをきちんとケリつけない限り、一生わだかまりとして残ると思っている。
そして、組織としての現時点での姿勢を見る限りはそのケジメもつけるつもりはないのだろうと思うと、今でも怒りと呆れと諦めで感情がぐちゃぐちゃになることがある。
だから尚更私は現役信者の主張を積極的には見たくないし、多分この先も理解できないと思う。
巻き込んだ当の本人(母)は別の面で葛藤もあるのだろう。
色々聞き出そうとする私に対して「もう話したくない」とかたくなに拒み続ける。
理解できなくもないが、私の状況と気持ちの整理のために必要だと思い何度も母と対話を試みた。
そして、そのたびに吐きそうになりながら、傷つきながら一人で受け止めようとして、事件から半年もしたころには今思うと治療が必要なところまで心が壊れていたのだと思う。
2023年前半の事だ。
それでも、取材を受けたりする際に間違ったことを言ってはいけないと、傷つくのをわかっていながら何度も対話を試みた。
多分、これ以上詰めたら自分が壊れるという防衛本能も働いたのだと思う。
2023年秋頃には、最後に一回聞いて終わりにしようと思い、久しぶりに対話を試みた。
最後の対話でまた傷つく言葉があったわけだが、その話は他の人にするまでひどい言葉であることすら自覚がなかった。
以後、母と旧統一教会のことは話題にもあげていない。
現在の想い
今は以前のように帰省すれば家族の愚痴を聞かされる。それが健全な形の母子関係なのかどうかはわからない。
ただ、今は私もある程度言い返せるだけの経験と知識があるから、ただ従うだけ、母が言ってることが正しいと思うだけの聞き手ではなくなった。
今でもやってきたことを全部話してほしいし、旧統一教会が信者に何をさせてきたのかをきちんと懺悔してほしいと思う気持ちもある。ただ、私が一人で受け止められる話ではないのだろうと思っている。
旧統一教会から解放された残りの人生を好きなように過ごしてほしいという気持ちもある。
これは吐き出しと、当時の気持ちを記録するために書き起こしたものであり、最初に書いたが誰かの道しるべのためではない。
ただ、今後同じ道をたどるかもしれない誰かに、このようなケースもあるよ、という参考程度になるかもしれないと思い、新年早々記憶の棚卸作業をしたものでもある。
このような記事を残しながらも、自分以外の人に母を批判されるのは、それはそれで複雑な気分になるのである。
ある種の宗教2世の難しさの部分でもあるかな。
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