幼少期
私が幼い頃母は地方出身者で、孤独の中子育てをしていました。数十年前になりますので今の様に子ども家庭センターや自治体の支援機関はほとんどなかった時代だったと思います。その中で母はカルトと言われる旧統一教会に勧誘されました。
私はほとんど記憶にはありませんが親戚の話では孤独な子育ての中社会的にも活躍できず精神科にも通院したことがあり大変な状態だったそうです。そんな中教会活動に没頭していきます。もちろん私と兄弟の育児は放棄されネグレクト状態でした。幼稚園に通うときから鍵を持たされ放置された状態でした。(今では考えられませんが)
昔から母が帰ってくるのは父が帰ってくる少し前、その後ご飯を作る。そのような状態がずっと続きます。子どもだった私は寂しい感情もありあまり記憶には残っていません。そして母と一緒に過ごした記憶もほとんどありません。
中学校の頃兄弟が生まれその兄弟の世話をすることになります。母は教会に幼い兄弟を預け教会活動で日中はほとんど家にいませんでした。学生時代は幼い兄弟の送り迎えなどをしていました。今でいうヤングケアラーでした。
素直に言うことを聞かないと母の機嫌はたちまち悪くなり家庭は崩壊寸前でした。その中でもどうにか家を必死に守ろうとしていたのだと思います。そして幼い兄弟を理由に(お前が祝福結婚を受けないとこの子たちが地獄に落ちる)教会に通っていました。
祝福結婚
その延長で祝福結婚をすることになり、元夫は10歳以上年上の韓国人でした。もちろん自分の意志で断ることはできずそのまま結婚します。始めは優しかった夫も徐々に変わるようになり1年~2年のほどたってからは教会にもほとんど通わなくなりました。それからは子どももいたためすぐに離婚もできずに暮らしていました。夫は特に稼ぎがいいわけでもなくかなりぎりぎりの生活を送っていました。
ある日泥酔して子どもに暴力をふるったため帰国し離婚しました。
母が教会に勧誘されたために私は幼いころから宗教活動を強制され(母は活動をすることが子どもの為と思っている為強制している意識はない)人生の大半を過ごしてきました。今でも母は教会に通っており私たち家族を何とか教会に戻そうと必死です。
親子関係は破綻していて今は会うことも連絡を取ることもしません。時には私の意志に関係なく強制的に元夫に会わせようとすらします。UCは母をこのような状態にさせました。そして宗教2世の私は子どものころからまともな教育を受けられず大きな影響を受け人生を奪われたと思っています。
子どもたちへ
私は母の所有物ではなく一人の人間です。私も一人の人間として自分の意志で進路や人生の選択をしたかった。その機会を奪われたことは本当に残念です。
私も子どもがいますので母の思考や子育てが異常であったことは本当によくわかります。
自分の子ども達には「自分の意思で人生の選択をして生きてほしい」
それが今の私にできることであり私の生きる目標です。長くなりましたがここまで読んでいただきありがとうございました。
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